(readandwritten)

見たり読んだりして思ったこと。

ブログをいま書く理由

 いつからかブログを書かなくなった。
 ひとつの理由にそれは僕にはあまりに安易な文章経験になっているからだ。
 ブログがブームになった十数年前、僕ははてなダイアリーを拠点に膨大な文書を書き続けた。はてなダイアリーの有料サービスにブログに書いた文書をソフトカバーの体裁で本にしてくれるというものがあって、ブログをそろそろやめどきだなと思ったときにそのサービスを利用して書籍化して、ブログそのものは廃棄することにした。しばらくして届いたのはやや厚めの単行本サイズのもので、三冊に分冊されていた。二年間利用していて原稿用紙およそ1500枚書いたかなという感じであった。
 ブログを書き馴れた僕は、分量的にいくらでも書けるようになった。かわりに、文章の密度や筋密度のうえでごく浅いレベルのものに留まっているのではないかという疑いに、取り憑かれるようになった。

 奇縁があって小説を書くことになった。もちろんアマチュアとしてである。
いまでもややその気分は残っているが、小説を書いているつもりでいて、いつしかブログを書いていたときのイージーな回路にはまってしまう。
 いやな書き癖をつけてしまったものだなと思う。
 だからか僕は小説の書き出しを、いささか強引で、無理筋がある文章にするように現時点ではなっている。
 書き出しが晦渋な作家は一定数いるが、あれは「これから別次元の文章体験が始まりますよ」と読む者に告げているのだろうし、書く側も書き始めるにあたって自分に言い聞かせるための細工ではないかと思っている。
 しかし自分はまだ、文章の調整が出来ていないでいる。

 それでも小説教室に通って一年半、350枚くらいの小説を二本書いた。書き足りないぐらいだったが、小説の新人賞に応募するためには枚数のコントロールが必要であることを講師から教えられて、それらを応募規定の250枚以内に収まるよう、いちから書き直す必要も感じながら、いまは放っておいている。現在書いている小説は3分の2がようやく書き終わって、200枚を超えている。
 この投稿でもそうだが、簡潔には書けないところが僕の弱みである。
 ネットの文章は短くまとめるのが美徳のようになっているが、その趨勢に乗る気のない自分が短くする課題とは、いかに密度を維持するかにある。

 こうして小説を書いたことが、ブログへと還流する動機になりつつある。
 小説を書き進めていて突然、ここで本質的なテーマにぶつかるとはなと、驚かされることがある。そしてそのときに即座にそれを書いても、時間を置いてから書いても、いまひとつ書き切れず、悔しい思いをしている。
 ふだんからの考察の質が、小説の勘所で如実に試されるとわかった。
 だから小説の文章として落とし込む前に、考察を深めておくなり、考察を深められるような訓練をしないといけないと思った。
 その訓練の場をブログにしようと思った次第である。
 テーマはいろいろある。
 現時点で書いた小説に沿えばそれぞれ、労働、セックス、悪、である。
 もちろん書き慣れたブログの作法を禁じて、新しいブログとの応接の仕方を探りながら、書いていこうと思う。

 きっと長い文章になるだろうが、ブログでの長文には勝算がある。
 以前にも報告したが、僕がブログで書いた、映画「BU・SU」のレビューはグーグル検索でも上位にひっかかる。それは僕にとって意外な結果だった。本文は脱線が多く、映画のレビューはごく一部に過ぎない。他の上位ヒットのレビューと比較して自分のレビューに特色があると言えば、画面に映っているものを言葉で描写しようとしているところだったと思う。
 実際、そのブログを書いたとき、その描写に苦労した覚えがある。描写はいまでも苦手だが、それをこそ、これから思う存分、ひとの目をきにせず、やりたいと思っている。
 目先のレビュー数を稼ぐことが目的ではないが、長期的に構えていれば手応えは得られるはずだ。

 ブログの記事をフェイスブックと峻別するのは、僕という前提や出自と切り離されても読みうるもの、という程度の区別で再開したいと思う。

 第一弾を近日、お披露目できれば。